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Posted by チェスト at

☆謹賀新年 桜島

2016年01月01日




新年明けましておめでとうございます。

久しぶりに初日の出を拝むことができました。

今年もよろしくお願い致します。

美しく青きドナウ ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート
https://www.youtube.com/watch?v=2qv6LexvFDQ


  

Posted by goodjob at 11:27Comments(0)

☆島津義弘公初陣の地 岩剣(いわつるぎ)城

2015年12月31日
















鹿児島県姶良市の重富小学校近くにある

岩剣城は島津家17代当主である島津義弘公

の初陣の地です。


その麓には岩剣神社があります。

今年の正月1月2日に、知人の誘いで昇りました。

約20分で頂上まで辿りつきましたが、

結構険しい山道で、とてもきつく感じられました。

頂上からの眺望は素晴らしく、姶良市一帯と錦江湾

それに国分の城山まで見渡せました。

ガイドしてくれた方が「あれが船津温泉だよ」と指し

示してくれましたが、船津という地名のとおり過日は

そこまで海だったわけで、今は随分内陸で、かなり埋め

立てられてきた歴史が感じられました。

また、丁度今年放映されていたNHK大河ドラマの「花燃ゆ」

でしばしば映されていた萩の風景にもよく似ていました。

あんな険しい山道で、昔の人はよく戦っていたのだなあと

感慨深く思われました。

島津義弘公の初陣の地に赴いて行けたことが

本当に貴重な体験となりました。

以下は掲示板の内容です。

…………………………………………

◇岩剣城跡

岩剣城は戦国時代の代表的な山城です。

蒲生方によって享禄二年(1529)頃に

築城されました。

天文二三年(1554)には島津氏との間で

激しい戦いが行われ、この一帯が主戦場

となり、初めて鉄砲が使用されたと言われて

います。その後、島津義弘が山麓の平松に

居館を築いて、三年間城番を勤めました。

岩剣城は標高約225メートルの山頂部に

築かれた要害の地です。現在でも曲輪(くるわ)

や土塁、空堀が残っています。

◇岩剣神社

当社の創建ははっきりしませんが、天文十一年

(1542)の検札には「大旦那平重嗣、地頭重清」

と記されていた旨の記録があります。祭神は

大己貴命(おおなむちのみこ)。

社伝によれば、「天文二十三年、島津貴久が

渋谷一族を岩剣城に攻めた時、十月二日、

田布施金峰山の座主園田某が密かに岩剣神社の

御神体を白銀坂の陣営に勧請しました。

貴久はこの戦いに勝利を収めたならば、毎年

例祭日に神舞を奉納しようと願いを立てたところ、

その夜のうちに渋谷勢は逃れ去ったので、翌日

貴久は城に入ることができ、岩剣の本社へ御神体を

返しました。」とあります。島津義弘は平松在城の頃、

しばしば参詣し、神舞を奉納しています。

  

Posted by goodjob at 22:21Comments(0)歴史歴史

城山ドン広場

2015年09月22日











鹿児島市街を見下ろす城山の頂上付近にある

広場です。

第一展望台に上る前の駐車場の奥にある土産物店

モールの石段を上ったところにあります。

「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわり

に撃たれた空砲の音のことだそうです。

ドンが撃たれたことから、「城山ドン広場」と呼

ばれました。

昭和30年代に、城山の第一展望台にあるお店に

実に西郷さんに似ておられた方が住んでいらっし

ゃいました。

鹿児島市立名山小学校の全校生徒を前に、その

ドン広場で、その木原龍太郎さんが、西南戦争の

お話をして下さいました。

その広場が、西南戦争当時、薩軍の本営地である

ことも説明して下さったはずなんですが、子ども

心には、何が何だかわからずに、西南戦争はどこ

か遠くのことだろうくらいの認識しかありません

でした。

今、振り返ると、薩軍の本営地跡で西南戦争の話

を聞くというのは、心が震えるくらい凄い体験で

した。

50年経って、その価値が理解できました。

木原さんから直接お話しを聞いたというのは、本

当に貴重な体験で、人生の宝物です。


薩南哀歌 西郷輝彦
https://www.youtube.com/watch?v=c-FbcM9x4Xo


…………………………………………

城山ドン広場

お昼だ「ドーン!」

―城山に舞い散る紙吹雪―

「ドンが鳴った、ヒィ(昼)がなった、メス(飯)食ぶ
ろ」と大正時代を鹿児島で生きた人は囃すそうです。

「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわりに
撃たれた空砲の音のこと。

当時は市役所の職員が、時計とにらめっこをしながら
、正午キッカリ点火、その瞬間「ドーン」という轟音

とともに、紙の弾が破裂、あたり一面に紙吹雪が舞い

散りました。

ドンが撃たれたことから「城山ドン広場」と呼ばれま

した。

この一帯は、島津氏入府以前の豪族、上山氏の城(砦)

のあった場所で、周辺の土塁が、今もその名残をとど

めています。

さて午砲ドンは、昭和12年、市役所のサイレン時報

にその役目を奪われましたが、終戦後「サイレンを聞

く度に、空襲警報を思い出してゾッとする。やめてほ

しい」という声が相次ぎ、サイレン時報の中止が決ま

ると、今度はお午にドンの復活を望む声が殺到したと

いうことです。

…………………………………………

  

Posted by goodjob at 20:15Comments(0)

レトロな建物 鹿児島銀行別館

2015年09月13日














現在、鹿児島銀行別館となっている

建物は、1918年(大正7年)に竣工さ

れたそうです。

第百四十七国立銀行の建物として使

用されていました。

昭和6年に発行された鹿児島市の地

図にも明記されています。

以下、ウィキペディアからの引用で

す。

…………………………………………

1879年(明治12年)10月
- 第百四十七国立銀行が設立される。

1928年(昭和3年)9月1日
- 鹿児島商業銀行と合併する。

1930年(昭和5年)2月21日
- 薩摩銀行が経営譲渡される。

1932年(昭和7年)2月27日
- 海江田銀行が経営譲渡される。

1933年(昭和8年)1月4日
- 西薩殖産銀行が経営譲渡される。

1936年(昭和11年)4月1日
- 鹿児島商弘銀行が経営譲渡される。

1944年(昭和19年)2月1日
- 第百四十七・鹿児島・鹿児島貯蓄の
3行が合併して、あらたに株式会社
鹿児島興業銀行が設立される。

1952年(昭和27年)12月
- 株式会社鹿児島銀行に商号変更。

…………………………………………

もう100年近くになりますが、来年、

鹿児島銀行本店と合わせてその一帯に

大規模なショッピングセンターが建設

されるということで、取り壊されるこ

とになりました。

その別館の一角には、僧月照が亡くな

る前に宿泊した俵屋旅館にまつわる石

碑も建てられています。

…………………………………………

月照上人の遺跡の碑

ここは、京都清水寺の僧月照が宿泊し

た旅館『俵屋』のあったところです。

月照が幕府の追及を逃れ、一足先に

帰鹿していた西郷を頼って鹿児島

に着いたのは安政5年(1858年)11月

8日でしたが、密告され藩庁により俵

屋へ移され同月16日未明、西郷と相

抱いて錦江湾に身を投じるまで、ここ

で過ごしました。

…………………………………………

  

Posted by goodjob at 20:14Comments(0)

今日でお別れ…山形屋バスセンター

2015年08月31日












永年親しまれてきた鹿児島市金生町の

山形屋バスセンターが

本日8月31日をもちまして閉鎖になります。

50年以上の歴史があると思います。

昭和30年代には、大きな空き地があり、

電車通りから入ってきたバスは、乗客の乗り降り

の後は大きく旋回して、また電車通りに出ていく

というスタイルでした。

今日は、テレビ局の取材も入っていました。

今日でお別れとは、まだ実感が湧きませんね。


今日でお別れ。菅原洋一
https://www.youtube.com/watch?v=kfhHKst5FuI


  

Posted by goodjob at 13:21Comments(0)

明石屋の軽羹

2015年08月26日










明石屋の軽羹です。

今や、かるかんは鹿児島を代表する銘菓です。

今年は、ミラノの万博に明石屋は出店したそうです。

そこで、5月には来場者にかるかんが振る舞われたそうです。

海外では初めてとのことです。

かるかんは、鹿児島ではあまたのお菓子屋さんが製造して

いますが、やはり、しっとり感や味の上品さでは、

明石屋さんのかるかんが一番だと、私は思います。


……………………

☆軽羹(かるかん)の由来 元祖六代目

播州明石の人、八島六兵衛翁は江戸に在りて製菓を業とし

其の技術と工夫の堪能なるものであった。

偶々島津斉彬公在府中にこれを知り江戸の風月堂主人の

推挙により、公に従って鹿児島に来た。

時に安政元年約百五十年前である。

翁は明石屋と号し性剛直至誠職を奉じ藩公の知遇を得て

薩摩の山芋の良質に着眼し之れに薩摩の良米を按配して

苦心研究遂に「軽羹」を創製したのである。

以後明治初年翁は家号を木原政吉に譲り十九年十二月十五日に

東京に没したが八十三の寿命であった。

木原氏は島津家御用菓子司として五十四才で没し其後代々

軽羹の特技を家傳し、六代明石屋の今日迄其の独特の秘伝が

遺されて居る。

軽羹は明石屋が元祖である。

由来記如件

薩州甲南の住
天知洞あるじ 双山老士誌
軽羹元祖六代目 明石屋(録)


……………………

  

Posted by goodjob at 12:18Comments(0)

once in a blue moon…2夜連続の満月

2015年07月31日




……………………

 国立天文台によると、1か月の間に2回満月が
ある場合、2回目の満月を「ブルームーン」とよぶ。
色こそ青くはないが、英語の慣用句で珍しいことや
稀なことのたとえを“once in a blue moon”と表す
ように、稀なこの現象を「ブルームーン」という。

福岡県青少年科学館によれば、ひと月で2度の満月
を見られるタイミングはだいたい3年に1度程度だ
という。

……………………

昨夜、なんとなく満月の写真を撮ったのですが、
まさか3年に1回のタイミングだとは夢にも思って
いなかったですね。

今日は空が曇っていて、なかなか月が出なかったの
ですが、ようやく雲の上に姿を表してくれました。

2夜連続で満月を鑑賞できてたいへんラッキーです。

BLUE MOON - Nat King Cole
https://www.youtube.com/watch?v=21scyhRP_IU






  
タグ :満月

Posted by goodjob at 21:37Comments(0)

昨夜は満月

2015年07月31日






昨日は晴天に恵まれて、いい満月を鑑賞
できました。

やけに月が丸かったので、暦で確かめた
ら、満月でした。

普段ならついつい見過ごしてしまいそう
なんですが、今日は確かめてよかったで
す。

やはり、満月からは不思議なパワーをい
ただけるような気がします。






  

Posted by goodjob at 14:47Comments(0)

ムスリムの白帽…桜島

2015年07月15日







今日は快晴です。

本当に雲一つない青空が広がっています。

そして海風が心地よく吹いて最高の気分ですね。

桜島には白い雲が小さく載っています。

なんだか、ムスリムが被っている帽子のようにも見えます。


今日は、鹿児島県の夏祭りで最大のイベントである照国神社の

六月灯の前夜祭です。

照国神社の御祭神は島津斉彬公です。

鹿児島市磯の集成館事業等が先日世界遺産に認定されて、斉彬公も

たいへん喜ばれていると思います。


また、今日は安保法案が強行採決されるそうです。

この件につきましても、また、斉彬公はたいへん喜ばれていると思います。

国土防衛の第一歩が始まるわけですから、たいへん喜ばしいことです。

今日は歴史に残る記念すべき日となるでしょう。


19世紀のアジアにおいては、1840年、アヘン戦争において清国がイギリスに

破れ、欧米列強が怒涛のようにアジアを侵略し始めた時代でした。

そこで、島津斉彬公は、日本の独立を守るために、殖産興業を起こし、欧米列強に

対抗できるような軍事力を持たねばならないと考え、集成館事業を起こしました。


そして、約150年後の現在、日本の独立を脅かしているのは、まさに強大な軍事力を

つけた、かつての清国である中華人民共和国そのものであります。

ここで我が国が憲法9条を守り切って、かつ万が一、米軍が日本列島から撤収すれば

核武装した凶暴獰猛な侵略国家と丸腰で対処しなければなりません。

そうなると、戦わずして国を明け渡してしまうことになります。

中国人民解放軍は日本を占領して、自治区にするでしょう。

そうなると、日本国憲法は即刻停止されます。

◎◎◎憲法9条を守りぬけば、日本国憲法は間違いなく消滅します。


私たち日本人は、国家主権を奪われ、独立を失い、中国共産党の支配下におかれ、

野蛮な中国共産党の「人治主義」に支配されることになります。

我が国の先人たちが営々と守り育ててきた自然が無残にも人民解放軍により

徹底的に破壊されることになります。

自然破壊、文化破壊、財産資産・ありとあらゆる富の接収、人民の奴隷化、無差別大量虐

殺が進むでしょう。

日本人民は少数民族として徹底的に虐待されるでしょう。

今のチベットや東トルキスタンや内モンゴルを見れば、よくわかるでしょう。


今まで中国国内では、骨の髄まで日本憎しの教育がなされてきました。

日本に対して憎悪を掻き立てる教育がなされてきました。

そういう連中が、占領軍として日本に進駐してきたら、想像を絶するような

残忍残虐行為が日常茶飯事のように行われ、凄まじい地獄絵図が展開される

ことは100%間違いありません。


◎あとから腹を立ててももう遅いのです。

ですから、中国人民解放軍の日本占領は今こそ何がなんでも阻止しなければ

ならないのです。

悔やまないために、転ばぬ先の杖が必要です。

安保法案は、まさに「ころばぬ先の杖」です。

日本防衛のためにいつ行動しますか?

それは、「今」でしょう!


豊かな自然の恵みに心から感謝です。

よき一日を!





  

今日もまた雨模様です…桜島

2015年06月23日






今日もどんよりと曇っています。

桜島もほとんど見えません。


今日は「沖縄慰霊の日」です。

昭和20年、沖縄で最後の司令長官だった

牛島満陸軍大将の「生い立ちの碑」は鹿児島市の

加治屋町、甲突河畔の公園に建てられています。


牛島満陸軍大将・辞世の句

・矢弾尽き天地(あめつち)染めて散るとても 
   魂還(たまかえ)り魂還り皇国(みくに)護らん

・秋をも待たで枯れ行く島の青草は 帰る御国に甦らなむ


涙そうそう 夏川  りみ  HD 高音質 高画質
https://www.youtube.com/watch?v=qRgLewdwXDY


豊かな自然の恵みに心から感謝です。

今日もよき一日を!


  

Posted by goodjob at 11:58Comments(0)