スポンサーサイト

上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。

  
Posted by チェスト at

今日でお別れ…山形屋バスセンター

2015年08月31日












永年親しまれてきた鹿児島市金生町の

山形屋バスセンターが

本日8月31日をもちまして閉鎖になります。

50年以上の歴史があると思います。

昭和30年代には、大きな空き地があり、

電車通りから入ってきたバスは、乗客の乗り降り

の後は大きく旋回して、また電車通りに出ていく

というスタイルでした。

今日は、テレビ局の取材も入っていました。

今日でお別れとは、まだ実感が湧きませんね。


今日でお別れ。菅原洋一
https://www.youtube.com/watch?v=kfhHKst5FuI


  

Posted by goodjob at 13:21Comments(0)

明石屋の軽羹

2015年08月26日










明石屋の軽羹です。

今や、かるかんは鹿児島を代表する銘菓です。

今年は、ミラノの万博に明石屋は出店したそうです。

そこで、5月には来場者にかるかんが振る舞われたそうです。

海外では初めてとのことです。

かるかんは、鹿児島ではあまたのお菓子屋さんが製造して

いますが、やはり、しっとり感や味の上品さでは、

明石屋さんのかるかんが一番だと、私は思います。


……………………

☆軽羹(かるかん)の由来 元祖六代目

播州明石の人、八島六兵衛翁は江戸に在りて製菓を業とし

其の技術と工夫の堪能なるものであった。

偶々島津斉彬公在府中にこれを知り江戸の風月堂主人の

推挙により、公に従って鹿児島に来た。

時に安政元年約百五十年前である。

翁は明石屋と号し性剛直至誠職を奉じ藩公の知遇を得て

薩摩の山芋の良質に着眼し之れに薩摩の良米を按配して

苦心研究遂に「軽羹」を創製したのである。

以後明治初年翁は家号を木原政吉に譲り十九年十二月十五日に

東京に没したが八十三の寿命であった。

木原氏は島津家御用菓子司として五十四才で没し其後代々

軽羹の特技を家傳し、六代明石屋の今日迄其の独特の秘伝が

遺されて居る。

軽羹は明石屋が元祖である。

由来記如件

薩州甲南の住
天知洞あるじ 双山老士誌
軽羹元祖六代目 明石屋(録)


……………………

  

Posted by goodjob at 12:18Comments(0)