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住みなれし 里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧
2014年06月27日
今日も激しい雨が降っていますね。
鹿児島で大雨といえば、1993年の86水害がまず
頭に浮かぶでしょう。
それと共に思い出されるのが、宝暦年間、薩摩が美濃の国で
行った治水工事でしょう。
毎年5月25日平田靱負の命日にちなんで薩摩義士の慰霊祭が
鹿児島市の平田公園で行われます。
岐阜県からもたくさんの方が見えられ、示現流と自顕流の実演も行われ、
盛大にとり行われます。
「住みなれし 里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」。
これは平田靱負が辞世の句として詠んだものです。
公園には句碑も残されています。
しかしながら、意外に思うのは、薩摩義士がちゃんと慰霊されるようになったのは
大正年間からだそうです。
それまでは、多大な借金を作ったということで非難されていたそうです。
でも、岐阜県の方々からはたいへん感謝され続けています。
慰霊祭でも岐阜県のたくさんの中学・高校生が参加していました。
そして、みな、「来てよかった」と感動の表情で語っていたのがとても
印象的でした。

鹿児島で大雨といえば、1993年の86水害がまず
頭に浮かぶでしょう。
それと共に思い出されるのが、宝暦年間、薩摩が美濃の国で
行った治水工事でしょう。
毎年5月25日平田靱負の命日にちなんで薩摩義士の慰霊祭が
鹿児島市の平田公園で行われます。
岐阜県からもたくさんの方が見えられ、示現流と自顕流の実演も行われ、
盛大にとり行われます。
「住みなれし 里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」。
これは平田靱負が辞世の句として詠んだものです。
公園には句碑も残されています。
しかしながら、意外に思うのは、薩摩義士がちゃんと慰霊されるようになったのは
大正年間からだそうです。
それまでは、多大な借金を作ったということで非難されていたそうです。
でも、岐阜県の方々からはたいへん感謝され続けています。
慰霊祭でも岐阜県のたくさんの中学・高校生が参加していました。
そして、みな、「来てよかった」と感動の表情で語っていたのがとても
印象的でした。

Posted by goodjob at
10:25
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