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Posted by チェスト at

☆島津義弘公初陣の地 岩剣(いわつるぎ)城

2015年12月31日
















鹿児島県姶良市の重富小学校近くにある

岩剣城は島津家17代当主である島津義弘公

の初陣の地です。


その麓には岩剣神社があります。

今年の正月1月2日に、知人の誘いで昇りました。

約20分で頂上まで辿りつきましたが、

結構険しい山道で、とてもきつく感じられました。

頂上からの眺望は素晴らしく、姶良市一帯と錦江湾

それに国分の城山まで見渡せました。

ガイドしてくれた方が「あれが船津温泉だよ」と指し

示してくれましたが、船津という地名のとおり過日は

そこまで海だったわけで、今は随分内陸で、かなり埋め

立てられてきた歴史が感じられました。

また、丁度今年放映されていたNHK大河ドラマの「花燃ゆ」

でしばしば映されていた萩の風景にもよく似ていました。

あんな険しい山道で、昔の人はよく戦っていたのだなあと

感慨深く思われました。

島津義弘公の初陣の地に赴いて行けたことが

本当に貴重な体験となりました。

以下は掲示板の内容です。

…………………………………………

◇岩剣城跡

岩剣城は戦国時代の代表的な山城です。

蒲生方によって享禄二年(1529)頃に

築城されました。

天文二三年(1554)には島津氏との間で

激しい戦いが行われ、この一帯が主戦場

となり、初めて鉄砲が使用されたと言われて

います。その後、島津義弘が山麓の平松に

居館を築いて、三年間城番を勤めました。

岩剣城は標高約225メートルの山頂部に

築かれた要害の地です。現在でも曲輪(くるわ)

や土塁、空堀が残っています。

◇岩剣神社

当社の創建ははっきりしませんが、天文十一年

(1542)の検札には「大旦那平重嗣、地頭重清」

と記されていた旨の記録があります。祭神は

大己貴命(おおなむちのみこ)。

社伝によれば、「天文二十三年、島津貴久が

渋谷一族を岩剣城に攻めた時、十月二日、

田布施金峰山の座主園田某が密かに岩剣神社の

御神体を白銀坂の陣営に勧請しました。

貴久はこの戦いに勝利を収めたならば、毎年

例祭日に神舞を奉納しようと願いを立てたところ、

その夜のうちに渋谷勢は逃れ去ったので、翌日

貴久は城に入ることができ、岩剣の本社へ御神体を

返しました。」とあります。島津義弘は平松在城の頃、

しばしば参詣し、神舞を奉納しています。

  

Posted by goodjob at 22:21Comments(0)歴史歴史