「いきっおったとぉ」617大空襲のあと

goodjob

2014年08月19日 23:32



8月はメディアでも、戦争体験のお話が続いていますね。

自分は体験はしていないのですが、学校で先生たちからお話しを伺う機会が

たくさんありました。

その中の一つですが、たいへん印象的で今でもよく憶えている話があります。

その先生は家庭科の女性の先生でした。

昭和20年6月17日に、鹿児島は米軍による大空襲に襲われました。

その翌日は雨が降っていたそうです。

先生は城山の向こう側の新照院町を歩いていたところ、一人の教え子とばったり

出会ったそうです。

その子は空襲後ですから、たいへんすすけた状態で、雨除けに板切れを頭にかざして

いたそうです。

その子が先生を見つけていったことばが、

「先生、いきっおったとぉ」

だったそうです。

先生の話を聞いていたクラスのみんなは最初全く意味が分からずにきょとんとしていまし

たが、一呼吸して一斉にどよめきが起こりました。

「いきっおったとぉ」

というのは、

「生きっおったとぉ」

だったんです。

先生も(あの空襲の中)、生き残っておられたんですね。

とその教え子は言ったんですね。

戦争の生々しさをクラスのみんなは感じ取り、たいへん衝撃を受けました。

僕たちはまだ生まれる前の話ですから、ずっと昔のことだと思っていましたが、

先生にとっては、まだ20年も経っていない出来事ですから、本当につい昨日

のことのように感じておられたのではないかと思います。


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