今日は沖縄戦終結の日
今日、6月23日は沖縄戦終結の日です。
鹿児島市加治屋町、甲突河畔の公園にある、「牛島大将生い立ちの碑」にお参りしてきました。
以下は、碑文の内容です。
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沖縄軍司令官
牛島満大将生い立ちの碑
金丸三郎 書
矢弾尽き 天地染めて 散るとても
魂還り 魂還りつつ 皇国護らむ
秋を待たで 枯れゆく 島の青草は
皇国の春に よみかへらなむ
第三十三軍司令官 牛島満大将ハ 昭和二十年六月二十三日 未明
大東亜戦争最後ノ決戦場トナッタ沖縄本島摩文仁の丘デ 辞世二首
ヲ遺シテ自決 十八万六千余名ノ将兵住民ト共二玉砕サレタ
大将ハ明治二十年七月東京デ誕生 此ノ年 厳父陸軍中将牛島実満ガ
病没サレタタメ母堂竹子二抱カレ 幼イ兄姉ト共二帰郷シテ 此ノ地デ
成長サレタ
甲突川畔ノ自然ト母堂ノ大愛 薩摩伝統ノ郷中教育ノ中デ 大将ノ
誠忠仁恕豪放ノ人格ハ形成サレタノデアル
昭和五十五年六月二十三日 之ヲ建ツ
牛島満大将生い立ちの碑建立期成会
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牛島大将については、マスコミの報道にもよりますが、随分と誤解されて伝わっているところがあります。
自分も、つい最近までは、牛島大将が鹿児島出身だとは知りませんでした。
たまたま、数年前甲突河畔を散歩して、碑を見つけて、びっくりした次第です。
昭和の終わりに、沖縄の摩文仁の丘を訪ねた時に、本当に悲惨な事態だったことを知ると
同時に、日本軍の司令官は一体どういう思いでこの戦いを戦ったのだろうか、これだけの住民の
犠牲が出たというのは、ほんとうに悪い人だったのではないかとずっと思っていました。
しかしながら、その後、歴史の真実を知り、この碑にある辞世の句を拝見して、自分は
大変な誤解をしていたことに気づかされました。
沖縄にいた日本軍は、住民をすべて疎開させてから、米軍を迎え撃つつもりでいたのに、
19年の末に沖縄県知事が本土に逃走するなど、大いに段取りが遅れたため、住民を巻き込んだ
悲惨な戦闘になってしまいました。
マスコミで報道されているような、「日本軍は意図的に沖縄住民を犠牲にした」というのは
真っ赤なウソなのです。
歴史の真実を知って、先人たちの思いをしっかりと顕彰しなくてはならないと思います。